尚志教育センタ−たより No.189 平成22年 6月15日 発行
Festina Lente(ゆっくりいそげ)の心で
〜そろりそろりと急いで参ろう〜
平成22年度第1回尚志教育センター職員研修会が6月19日(土)13:30〜16:00、尚志会館に於いて実施される。 教員をしていると生徒の人生に全く関わらないというものはないし、時にはかなりの覚悟で関わらなければならない時もある。大げさに言うと生徒の人生に影響することも沢山ある。また「このことを伝えたい、ここまで伝えたい」と思いながらが伝えたいけれど伝わらないこともあるし、伝えたいことであっても抑えることが必要な時もある。また理屈で割り切れないもの、理想でかたれないものもある。・・・思考していると何をすればいいか分からなくなる。しかし、すべてにより効果的にできる手法は必ずある。 教員として学習しなけらばならないことが山ほどあり、あれもこれも学習しなくてはと考えると焦りも生じてこよう。
何か物事を始めるときには、「Festina Lente(フェスティナレンテ)」と言う気持ちで取り組むことが大切である。ラテン語Festina(フェスティナ)は急げ、Lente(レンテ)はゆっくり。急ぐ時こそ、落ち着いてあせらずに行動するということでしょう。「ゆっくり過ぎてもいけないが、急ぎ過ぎてもいけない」「あわてずに進めば、結局、早く目的地に着く」「大切なことはゆっくり話した方が相手によく伝わる」「登山であれば自分のペースを守った方が結局速くなる」「マラソンでペースを崩すと脱落する」等々。これまでの生活の中で学んできた生活の知恵です。
能狂言のせりふを思い出す。「そろりそろりと急いで参ろう」焦りを抑えながら,気を緩めることなく学習を続けよという意味と同じであろう。不思議に、そうしているうちに「ひらめき」が生まれる。このひらめきが高い確率で的を得ていることが多い。
もう一つ、学習して一つの峰を征服しても、頂上にあがってみれば、まだまだ峰が続いている。この「謙虚さ」と「学習(研修)」は教員の職にある限り永久に続くものである。
尚志教育の源を究める
吉田松陰の死生観と留魂録
佐藤信先生は基調教育で、死生観(死にざま)を指導された。その題材に取り上げたのはが吉田松陰の留魂録(りゆうこんろく)である。そして若者の無駄死にが多すぎる、無駄死をするなと戒めた。「留魂録」は処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられ全十六節からなる。この留魂録は、「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という辞世の句から始まる。「吉田松陰」の死生観を語るものである。
【 留魂録第八節(現代語訳)】
一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。
あるがままに 思うがままに
不思議を通じて(教育用語では葛藤でしょうか)、子どもは知の世界に導かれる。その方程式は何かを知ってうれしい気持ちになる。心がはずみ、知りたいことが整理されと ますます知りたくなる。これも不思議である。こんな心を育てる教育でありたい。不思議という八木重吉氏の詩がる。
不思議
こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる
夏目漱石の「坊ちゃん」と会津
明治の文豪である夏目漱石の代表的な作品の一つである「坊っちゃん」、その中に登場する「山嵐」の出身は会津という。「坊っちゃん」と「山嵐」のこんな会話がある。
「君は一体どこの産だ」 「おれは江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「君はどこだ」 「僕は会津だ」
「会津つぽか、強情なわけだ」
山嵐のモデルは柔道の姿三四郎とも言われる。「西郷四郎」は幕末の会津藩家老だった西郷頼母の養子だった人。一度決めたことは、それがどんな小さな事であれ、納得するまで意見を変えない強情さ、打算を離れた純粋さ、犠牲を厭わないひたむきさが、今も会津人としての風土がある。
生粋の江戸っ子の坊っちゃん、強情な会津出身の山嵐、赤シャツや野だいこ藩閥(お役人)と対峙していく姿は爽快だし、夏目漱石の考える戊辰戦争でなかったのか。?
会津に、何度倒れても起き上がる「起き上がり小法師」という民芸品があるが、これも脈々と流れる会津人の心に思えてくる。
※ 起き上がり小法師は約400年前、会津藩主蒲生氏郷が無役の下級武士に作らせたのが始まりとか。
教育の窓
V・E・フランクル(ユダヤ人) 人間にとって限界状況と思われるナチスの強制収容所にあって、なおも人間の尊厳を失わず、生きる希望を捨てなかった人である。私たち一人一人に宿る「ロゴス」(愛、生命力、原理)を目覚めさせる「ロゴセラピー」を開発し、多くの人々の深い心の傷を癒しつづけた。
V・E・フランクル
どんな時にも人生には意味がある。
あなたを必要とする
何かがあり
誰かがいて
必ずあなたを待っているのだ。
*** 桜 梅 桃 李 ***
〜 「あいまい」なことに自分を問い続ける力 〜
最近、若さに溢れる生徒と接する機会が少なくなったが、やっとこの年齢になって整理ができたことがある。教育や将来のこと等は、数学の問題を解くように答えがすぐ見つかる事ばかりではない。昭和46年日本女子工業高校の頃を思い出す、丁度私は教職について7年目、尚志に赴任したばかりの頃である。文学部の生徒と人生観を語る機会があった。当時の「日女工文学部」はガリ版刷りの文学冊子である「川穀」(花の名称)、「黎明」を毎年発行、学級文集等も盛んに発行されていたころである。 文学部の数名の生徒に本気で質問をされた。「先生は何のために生きているのですか?」。本質的な質問で、答えが見えているようで見えない。3日考える時間を貰うことにし、昼夜考えては見たが結論が見つからない。 再度文学部の居室を訪れ、このように答えた。「何のために生きるかを見つけるために生きている。命をかけても惜しくないことに出会うために」。自分なりには充分考慮した上での返答だ。 確かに佐藤信先生の生きざまや死生観、芳村思風先生の感性哲学、内村鑑三先生の「後世への最大の遺物」、吉田松陰の「留魂録(りゆうこんろく)」・・等々では語られている。
昔、教育講演であった「あいまいなことを、あいまいなままにしておく力は大切なこと」、あいまいさを問い続けるの価値が最近になってわかってきた。
今振り返ってみると、生徒に「あいまい」に答えたことが、案外一番的を得ているように思えてくる。「人間において生きるとは、ただ単に生き永らえる事ではない。人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、この命をどう生かすかということである」。私は今になって考えることは、命をつかって教育に専念できたことが「生きる」の明解な生徒への回答であろう。
教師として踏み出した若い先生、緊張の連続あろうが、「答え」はすぐにみつからないことがある、それを問い続けることも重要な力であることを銘記しておきたい。